イングルヌック (旧ルビコン・エステート)
歴史:
イングルヌック・ヴィンヤードはグスタフ・ニーバムによって1879年に設立されました。フィンランド人であるグスタフは巨大な富を活用し、ナパにヨーロッパのブドウの苗を持ち込みました。その後、伝説のジョン・ダニエルの指揮の下、数十年かけて最も高い評価を得る事になるワインを造り上げました。
しかし、フランシス・コッポラとエレノア夫人が1975年に敷地の一部を購入する頃は、イングルヌックの名前も売却され、ワイナリーとしても崩壊していました。コッポラ夫妻は20年をかけて売却されていた畑を徐々に買い戻し、醸造設備にも手を入れ、歴史あるイングルヌック・シャトーを改築しました。イングルヌックは現在、昔と同じワイナリーに再現され、再びアメリカの偉大なワイナリーへと復活しました。
イングルヌックへの移行とフィリップ・バスコール:
2011年4月、フランシス・フォード・コッポラはナパの象徴的なワイナリーであるイングルヌックの商標権をザ・ワイン・グループより取得しました。これ以降、ナパ・ヴァレーの著名なワイナリーであるルビコン・エステートは、歴史ある名称「イングルヌック」として生まれ変わります。
さらに、著名なボルドーの醸造家フィリップ・バスコールが新生イングルヌック・ワイナリー支配人兼醸造家に就任しました。イングルヌックと言う名称とそのワインは、ナパ・ヴァレーが世界の偉大なワイン産地の一つであると言う事実を、長年に渡り証明する役割を果たしてきました。それはグスタフ・ニーバムが1879年にイングルヌック・ワイナリーを設立して以来ほぼ150年に渡る伝説です。
今までに造られたワインの中でも最も優れたワインの一つと言われている1941年ヴィンテージのイングルヌック・カベルネ・ソーヴィニョンの畑は、今でもラザフォードのコッポラ所有の畑の一部になっています。
「フィリップ・バスコールの様な卓越した醸造家を改名したイングルヌックに迎える事は、ワイナリーの伝統や修復された遺産を称賛する意思の表れです。」とコッポラは語ります。「ワイナリーの経営者はテロワールの一部だと言う興味深い考えがあります。そして昨年、私がイングルヌックの将来に必要なものを考えていた頃のスピリットがその一部だと思います。例えば、フィリップ・バスコールを採用したり、畑を改良したり、最新の醸造設備を計画したり、アメリカの最も偉大なワイナリーへ復活させる為に何が必要かを考えていた時です。これもザ・ワイン・グループの寛大な潔いサポート無しでは不可能な事でした。」
バスコールは「私はワイナリーの美しさとユニークな環境に魅了されました。私は1959年ヴィンテージのイングルヌックのティスティングでそのフレッシュさと複雑味に驚かされました。そして2009年ヴィンテージのサンプルをいくつかティスティングした時に、この畑の素晴らしいポテンシャルを確認しました。私はフランシス・フォード・コッポラの、このポテンシャルを十分に表現するワインの品質を高めたいという要望を理解し、この目標に到達する為に新しい手法でワインを造れる事にとても興奮しています。」と語ります。
「ルビコン」はイングルヌックのフラッグシップ・プロプライアタリー・ワインの名称として継続します。この21年間をシャトー・マルゴーで過ごし、オールド・ワールド・スタイルでワイン造りをしてきたバスコールが、偉大なニュー・ワールド・ワイン「ルビコン」に献身する醸造チームを引率します。バスコールは、ポムロールの著名な醸造コンサルタントであり、ルビコンの2008年以降のヴィンテージを担当してきたステファン・デュルノンクールとコンタクトを取りながらワイン造りを進めて行きます。
この11年間、バスコールはフランスのボルドー一級シャトーの一つシャトー・マルゴーでエステート・ディレクターを務め、著名なテクニカル・ディレクターのポール・ポンタリエと共に畑、セラーの業務を牽引してきました。バスコールは農業学の学位を持ち、モンペリエの大学院で醸造学を専攻し、シャトー・マルゴーでエステート・ディレクターのアシスタントとしてキャリアを始めました。
ザ・イグザミナー、サンフランシスコ : サンデー・モーニング、1890年4月6日
美しいイングルヌック:
ナパ・ヴァレーの「中央部」の入り口から数マイル入ると、素晴らしいロケーションの中に表現しきれ無いような美しいイングルヌックが現れます。シエラ山脈や埃っぽいサン・ホワキンの平原しか知らない人には、この素晴らしいワイナリーの美しさは想像できないでしょう。有名な世界中のリゾート同様、美しい景観と気候がそこにはあるのです。
ワイナリーの名前のルーツである、木に囲まれた「nook(隠れ場所)」の後ろには山脈が連なります。背の高い滝が脇に流れ落ち、膨らみのある水の流れとなり渓谷の平地へと流れて行きます。数マイル北には海抜1200mのセント・ヘレナ山が勇士の様にそびえ立ち、地上の楽園を優しく見守っています。東には新緑に覆われた低い丘が連なり、がっちりとした樫の木やマドロナ等、常緑樹や低木が装飾となり景観をより魅力的にしています。南は渓谷が徐々に狭くなり、さらに南下すると再び広くなりブドウ畑や果樹園が広がっています。
そして西にはアメリカ杉と樫の木・月桂樹・松等が混ざった森林が偉大で美しい渓谷を作っています。また、ハウエル・マウンテンと連なる丘が東寄りの風からイングルヌックを守っています。この土地を取り囲むこれら全ての環境が木や水のバランスを保っています。最も乾燥した季節でも干上がる事は無く、湿気の多い所から来た観光客が不満を言うような典型的なカリフォルニアの風景とは異なります。
魅力的なビジョン:
線路からイングルヌックに向かって、アーモンドや胡桃の並木道を通って行くとすぐにブドウ畑が開けてきます。木々は現在の所有者によって植えられました。彼は熱心に木を植えていて、これは宗教上の義務で毎年少なくとも1000本を植えていると笑いながら話してくれました。
ブドウ畑は今流行のカリフォルニア・スタイルでは植えられていません。樹と樹の間に通常7〜8フィート(2.1〜2.4m)空けるところ、所有者であるニーバム船長は3フィート6インチ(1.05m)しか空けていません。彼は大量の収量を望まず、安定した最良のブドウの収穫を目指しています。なぜなら経験により行った密植は、収量を減らしブドウのフレーヴァーを向上させるだけでなく、ナパ・ヴァレーに頻繁に訪れる熱波によって、完熟したブドウに起こる日焼けからブドウを守ってくれます。7フィート(2.1m)に2本の樹が植えてある畑はアメリカでは密植ですが、フランスの最も優れたブドウ畑はエーカー当たり7,000本、現在の4倍の多さで、そこの栽培家は一本の樹に1〜2つしかならないブドウの房に完璧に満足しています。
この畑は完璧で、土壌は荒い砂利質の堆積物に、川によって運ばれてきた堆積物が混ざっています。肥沃な土壌ではなく、収量が少ないブドウのフィネスに相応しい土壌です。優れた白ワインやデリケートなクラレットに相応しい土壌で、これらのワインはニーバム船長が誇りを持って造っているワインです。
ルビコン2008
2008年ルビコンはイングルヌックと改名したワイナリーの最初のヴィンテージで、ワイン・コンサルタントのステファン・デュルノンクールと共に造ったワインです。デュルノンクールはボルドー・スタイルの醸造コンサルタントとして最も著名な一人で、彼は独学でコンサルタントになりました。
彼の顧客は、ドメーヌ・デュ・シュヴァリエ、シャトー・パヴィ・マカン、カノン・ラ・ガフリエール等、世界中の優れたワイナリーばかりです。デュルノンクールは過去数年間イングルヌックの醸造チームと共にワイン造りに参加し、ラザフォードの特徴のあるテロワールの模範となる素晴らしいワインを造る為に、フランシスともコミュニケーションを取りながらワイン造りをしてきました。
「私は長熟のワインを造りたいと思っています。」 と彼は自分自身のワイン醸造への取り組む姿勢を語ります。それに加えて「私はある程度の軽さを持った、しかし良いバランスを持ち、フレーヴァーの詰まったワインを造りたい。それは凝縮感やパワーとは大きな違いがあります。」と説明しています。
2008年ヴィンテージは素晴らしい個性を表現しています。新しい伝統の始まりで、ステファノのアプローチを継承しつつ、鮮やかでフレッシュなスタイルのワインです。
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イングルヌック プレスリリース(.doc)
フランシス・フォード・コッポラがイングルヌックの商標権を取得し
ルビコン・エステートを改名。新しい醸造家も選任。
Ch.マルゴーのフィリップ・バスコールが新イングルヌックの
ワイナリー支配人兼醸造家に就任
ラザフォード、カリフォルニア(2011年4月11日)
フランシス・フォード・コッポラは、象徴的なイングルヌックの商標権をザ・ワイン・グループより取得し、この時点よりナパ・ヴァレーのラザフォードにあるルビコン・エステートは、歴史ある名称である「イングルヌック」として知られる事になる、と発表しました。
加えて、この夏より、ボルドーの著名な醸造家であるフィリップ・バスコールが新生イングルヌックのワイナリー支配人兼醸造家として就任する事も発表しました。
イングルヌックと言う名称とそのワインは、ナパ・ヴァレーが世界の偉大なワイン産地の一つであると言う事実を、長年に渡り証明する役割を果たしてきました。それはグスタフ・ニーバムが1879年にイングルヌック・ワイナリーを設立して以来ほぼ150年に渡る伝説です。今までに造られたワインの中でも最も優れたワインの一つと言われている1941年ヴィンテージのイングルヌック・カベルネ・ソーヴィニョンの畑は、今でもラザフォードのコッポラ所有の畑の一部になっています。
「フィリップ・バスコールの様な卓越した醸造家を、改名したイングルヌックに迎える事は、ワイナリーの伝統や修復された遺産を称賛する意思の表れです。」とコッポラは語ります。「ワイナリーの経営者はテロワールの一部だと言う興味深い考えがあります。
そして昨年、私がイングルヌックの将来に必要なものを考えていた頃のスピリットがその一部だと思います。例えば、フィリップ・バスコールを採用したり、畑を改良したり、最新の醸造設備を計画したり、アメリカの最も偉大なワイナリーへ復活させる為に何が必要かを考えていた時です。これもザ・ワイン・グループの寛大な潔いサポート無しでは不可能な事でした。」
「私達のブランドに対して正しい責務を果たす事は、私達の経営哲学と文化の中心となるものです。」とザ・ワイン・グループのCEOデヴィッド・ケントは語ります。「コッポラ・ファミリーの責任の下で、崇拝されるイングルヌック・ブランドが歴史あるワイナリーと共に再構築されるのを喜びと共に見守りたいと思っています。これはカリフォルニアのワイン産業における誇らしい瞬間です。」
バスコールは「私はワイナリーの美しさとユニークな環境に魅了されました。私は1959年ヴィンテージのイングルヌックのティスティングでそのフレッシュさと複雑味に驚かされました。そして2009年ヴィンテージのサンプルをいくつかティスティングした時に、この畑の素晴らしいポテンシャルを確認しました。私はフランシス・フォード・コッポラの、このポテンシャルを十分に表現するワインの品質を高めたいという要望を理解し、この目標に到達する為に新しい手法でワインを造れる事にとても興奮しています。」と語ります。
「ルビコン」はイングルヌックのフラッグシップ・プロプライアタリー・ワインの名称として継続します。この21年間をシャトー・マルゴーで過ごし、オールド・ワールド・スタイルでワイン造りをしてきたバスコールが、偉大なニュー・ワールド・ワイン「ルビコン」に献身する醸造チームを引率します。バスコールは、ポムロールの著名な醸造コンサルタントであり、ルビコンの2008年以降のヴィンテージを担当してきたステファン・デュルノンクールとコンタクトを取りながらワイン造りを進めて行きます。
この11年間、バスコールはフランスのボルドー一級シャトーの一つシャトー・マルゴーでエステート・ディレクターを務め、著名なテクニカル・ディレクターのポール・ポンタリエと共に、畑・セラーの業務を牽引してきました。バスコールは農業学の学位を持ち、モンペリエの大学院で醸造学を専攻し、シャトー・マルゴーでエステート・ディレクターのアシスタントとしてキャリアを始めました。
バスコールの到着と時期を同じくして、ヘザー・ドゥ・サヴォアがイングルヌックのセールス部門の社長に任命されました。ドゥ・サヴォアは過去4年半ルビコン・エステートの海外セールスのマーケットを構築してきましたが、今後は国内外両方のセールス・オペレーションの責任を負う事になります。
今回はイングルヌックの知的所有権の部分だけが移行され、ザ・ワイン・グループでは現在、そのブランド名で売られている商品をこれからの数ヶ月で別のブランドに移行する予定です。取引に関して金銭面の発表はありません。
ルビコンとイングルヌックの歴史的背景
イングルヌック・ヴィンヤードは1879年にフィンランド人の船長であるグスタフ・ニーバムによって設立されました。彼は巨大な財産をヨーロッパのブドウの苗をナパに輸入する事に費やしました。その後、伝説のジョン・ダニエルの指揮の下、数十年かけて最も高い評価を得る事になるワインを造り上げました。しかし、フランシス・コッポラとエレノア夫人が1975年に敷地の一部を購入する頃は、イングルヌックの名前も売却され、ワイナリーとしても崩壊していました。コッポラ夫妻は20年をかけて売却されていた畑を徐々に買い戻し、醸造設備にも手を入れ、歴史あるイングルヌック・シャトーを改築しました。今日、イングルヌックの畑には、自社畑の大部分を占めるカベルネ・ソーヴィニョンの他に、ジンファンデル、カベルネ・フラン、メルロ、シラー、そして6エーカー(2.4ha)のローヌ白品種の畑があり、そこから白のフラッグシップワインであるブランカヌーが造られています。
イングルヌックは現在、昔と同じワイナリーに再現され、再びアメリカの偉大なワイナリーへと復活しました。 |
(輸入元 資料より) |